「たま駅長」は不滅の存在感、再びの大ピンチ救って

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「まだまだ勝手に関西遺産

 コロナ禍で人の流れが止まり、地方の交通機関は大ピンチ。三毛猫「たま駅長」の人気で廃線の危機を乗り越えた和歌山電鉄貴志川線も、利用客が激減し、再び危機にさらされている。救世主のたまは2015年6月に没した。たまとの「再会」をモチーフにしたデザイン電車の投入で起死回生を図る。たまちゃん、天国からローカル線を救って。

 貴志川線は、和歌山県北部の和歌山市から紀の川市まで14・3キロメートルを結ぶ単線。04年に当時運営していた南海電鉄が撤退を表明したことを受け、沿線住民らが「貴志川線の未来をつくる会」を結成し、存続を訴えた。県と沿線自治体が支援に乗り出して運営会社を公募、岡山県で電車やバスなどを運行する両備グループが和歌山電鉄を設立し、06年から運行を引き継いだ。

 たまは1999年生まれで、紀の川市側の終点の貴志駅にある売店に住んでいた。和歌山電鉄の広報担当、山木慶子さんによると、たまは駅を訪れた小嶋光信社長の目を見つめ、「何でもするので駅に置かせてください」と心に訴えかけてきたという。実は、廃線危機の騒動の中、その後の整備方針によっては、たまが貴志駅にいられなくなる可能性もあった。小嶋社長は、たまを見て即、猫の駅長姿が思い浮かんだ。たまは居場所を自らつかみ取り、07年に貴志駅長に就任した。

 たま駅長の貢献ぶりは数字に表れている。05年度に年間200万人を割り込んでいた利用客数は、たま駅長が没するまで増加傾向で、15年度は232万人のピークに達した。

 「つくる会」代表の木村幹生さんは「賢くて、仕事をよくわかっていた」と振り返る。服や帽子を身につけさせられても動じず、観光客の撮影やイベントの間も愛敬を振りまいた。山木さんも「誰もたまを猫とは思っていない。貴志川線を残すために現れた神様の使いでしょう」。

 たまが死ぬ前日、岡山から駆…

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