和歌山電鉄 三毛猫・ニタマ駅長の10年 初代たまの背中追って

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たまの死後、2世駅長の辞令を受けるニタマ=和歌山県紀の川市で2015年8月11日午前10時32分、三浦博之撮影
たまの死後、2世駅長の辞令を受けるニタマ=和歌山県紀の川市で2015年8月11日午前10時32分、三浦博之撮影

 和歌山市と和歌山県紀の川市を結ぶ和歌山電鉄貴志川線(14・3キロ)で、三毛猫「ニタマ」(雌、11歳)が駅長に就任して10年になる。廃線寸前だった同線は、初代駅長「たま」(2015年没)がブームを呼んで全国からファンが押し寄せ、地方鉄道再生のモデルケースになった。新型コロナウイルス禍の今、乗客激減で再び試練の時を迎えている。「日本一心豊かなローカル線」の復活を目指し、たまの背中を追ってきたニタマと和歌山電鉄の10年をたどる。

泥だらけの子猫、事故の危機救われ

 ニタマが駅長を務める貴志駅(紀の川市)で1月5日にあった就任10年の記念式典。ニタマは執行役員から社長代理に昇進する辞令を受けた。小嶋光信社長の腕に悠々と抱かれ、羽根飾りの付いた帽子をかぶって社長代理の風格は十分。来賓の仁坂吉伸知事にも「ニャー」とお礼し、会場は和やかな空気に包まれた。

 話は12年前にさかのぼる。10年5月、生後2カ月ほどの子猫が岡山市内の国道でひかれそうになり、通りかかった女性に助けられた。泥だらけの猫を洗うと三毛猫と判明。ならばと、当時たまで有名になっていた和歌山電鉄の親会社、岡山電気軌道(本社・岡山市)に託された。それがニタマだ。

 当初は社員が自宅で飼い犬と一緒に世話し、幼い頃は「ワン」と鳴いたとか。同社の施設「岡電観光センター」に飼い主と一緒に出勤し、愛嬌(あいきょう)を振りまいて社員や客の人気者に。12年1月に和歌山に赴いて伊太祈曽(いだきそ)駅(和歌山市)の駅長に就き、キャリアをスタートさせた。

救世主の初代「たま」

 貴志川線の歴史は古い。1916(大正5)年、沿線神社の参拝を目的に開業。しかし自動車の普及などで乗客が減少し、04年に運営会社の南海電鉄が廃止届を提出した。和歌山市など地元自治体が10年間の赤字補塡(ほてん)を約束し、事業者を公募した。応じた岡山電気軌道が和歌山電鉄を設立して運営し、線路などは自治体が保有する形で06年から新体制に移行した。

 初代のたま駅長が誕生したのは翌年の07年1月のこと。元は駅前売店の飼い猫で、小嶋社長が物おじしない様子を見て無人駅のマスコットとして白羽の矢を立てた。SNS(ネット交流サービス)の普及なども相まってたまは大人気となり、年間200万人を割っていた乗客は08年度には約220万人に急増した。

 伝説的なたまの「部下」となったニタマ。仕事ぶ…

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